飛行機ってどうやって乗るんだっけ。
久方ぶりの空路往復、前泊遠征。搭乗手続きの仕方から、荷物の預け方から、金属探知器の潜り方から、フライトまでの空港での過ごし方まで全くちんぷんかんぷんのお上りさん状態で、羽田空港内を彷徨うオレンジのカリスマ。旅のお供は夜行バス。直行直帰の弾丸ツアーで何時も遣り繰りしていた訳ですが、愛媛で午前11:30キックオフという今回ばかりはそれも適わず。離着陸の振動と衝撃にマジでビビり、飛行機が浮力の原理で墜ちないメカニズムを心の中で絶叫しまくる事で、脱糞寸前の自我を羽交い締めにし続けた一時間半のフライト。何せ、
飛ばない奴はアンクラス。
無尽蔵に湧き上がって脳裏をリフレインする、原因不明の不吉なBメロ。CAがBeppin揃いで目移りしなかったら、心が折れてたカモしれないでガンス。
無事松山空港に到着した事で、アンクラスが飛ばないと言う風評を退け、呑まないナントカはアンクラスだと言う呪縛から逃れた俺は、リムジンバスで一路JR松山駅へ。そしてそこで衝撃の新事実が。明日の試合会場の最寄り駅で、今夜一泊するホテル・クレメンテ宇和島を併設するJR宇和島駅まで、特急乗車券で2900円する事が判明。リムジンバスが空港から松山駅まで300円だから、合計片道3200円。往復で6400円。週末の土日、二連チャンで飲みに行ける額に、愛媛の懐の深さを思い知らされる。鈍行だと宇和島駅に着くのが午後八時近く。折角早めにフライトしたんで、宇和島の周りを散策したいと特急券を買う事に。ただでさえ給料日前の遠征でお財布に厳しいのに、痛い失費。
特急料金で降り立った宇和島は何もない港町。ホテルに荷物を置いて街に繰り出すも、土曜の昼からシャッターの降りた商店が軒を連ね。営業している数少ない商店のショーウィンドウには、褪色したBARBEE BOYSのポスター。港へと向かう大通りの国道は人影も疎らで、中央分離帯に植えられた、南国ムードを演出する為の椰子の木の並木が、都内に比べ障害物のない高く広い空に向かって、虚しく伸びている。街をブラついてて判ったのは、闘牛と真珠が名物で、海を臨む山の上に城があると言う事くらい。そもそもここに来るまで宇和島が港町だという事すら知らなかった。
港に出ると、離島を繋ぐ小型客船と漁船が肩を寄せ合い、錆を吹いて赤茶けた造船所と貨物倉庫が操業している気配もなく、じっと息を潜めていた。砂浜を降りて散策したいなと思うも、湾内は岸壁に囲まれていてそれも叶わず、松山空港へと向かう機上から見下ろした、眼を見張る瀬戸内の島々の美しさも、こうして地に足を付けてみるとパットせず、寂れているな、と言う港町のリアルな風情が、浜風一つ立たぬ凪いだ水面で澱んでいる。
旅の疲れを癒してくれる様な期待した何かにはお目にかかれず、踵を返して港を後にすると、山の上の城郭に向かって伸びる商店街で夜祭りが開かれていた。30mを優に超える、車道かと見まごうばかりの広々とした間口のメインストリートは、城下町だった在りし日の名残らしく、東京都内でもそうそうお目にかかれぬ程の大規模なアーケードが今の街の佇まいには不釣り合いで、枯れ木も草の賑わいと、空き店舗、テナント募集の張り紙を朱の差し色に、鈍色のシャッターがここでも軒を連ねている。金魚掬い、チョコバナナ、くじ引き、広島焼き、商店街の手作りの露天を覗き込む子供達も疎らなら、十代二十代の若者の姿は更に疎ら。お祭り気分とは程遠く、全長約500mのアーケードの中程に設けられたステージで、地元のダンススクールのキッズがHipHopを踊ったり、ご当地アイドルがヘソを出して歌ったりしている時にだけ、ちょっとした人集りが出来ていた。
午後六時過ぎに駅前の通りにある食堂で鯛飯を掻き込み一心地付いた俺は、東京よりも陽が長い西日本の空が未だ明るいのを見て、駅から徒歩七分という明日の試合会場、丸山公園多目的グラウンドの下見に繰り出す事にした。なでしこのホームページのスタジアムガイドでは駅前の国道を直進してトンネルを潜った直ぐ先と言う事になっているが、実際にトンネルを潜った先は、小高い丘と言うか、山がそそり立っていて、その頂上から照明設備らしき物が覗いていた。結局、勝手の判らない俺は、iPhoneのマップで現在地を確認しながら、常日頃人通りのないらしい獣道まがいの山道を縫って蜘蛛の巣を被りまくり、山頂に辿り着いた時には、麓から覗いていた照明設備に光が灯っていた。振り返れば宇和島市街を一望の元に見下ろす絶景。駅から徒歩七分云々の前に、この登りを荷物を引いて上がっていくのは無理。明日は駅前からシータク。それを確認出来ただけでも収穫だ。
屋根付きのメインスタンドとネットで囲まれた人工芝のピッチでは地元の学生達が汗を流していた。小振りだがピッチも近く、観戦しやすい会場だ。キャパ的にもチャレンジの試合をするのには丁度良い。駅前の地図に、このグラウンドの直ぐ近くに闘牛場があると描いてあったので散策すると、公園の駐車場の先にドーム型の闘牛場が薄暮に沈んでいた。場内は施錠され、閑散としていて牛の姿はなく、変わりに周りの茂みから出てくる野良猫の数がハンパなく、気持ち悪いほど群れていて、猫なで声で擦り寄り餌を求めてくる。「アンクラスの試合終わったら闘牛観てえなあ、臭えんだろうなあ牛。」と漠然と考えていたが、闘牛場の掲示板を見ると、闘牛の開催は年に本の数回しかなく、闘牛が街の祭事としては形骸化し、観光資源としても済し崩しになっている事を窺わせる。猫に餌をやらないようにとの張り紙を嘲笑うかの様に、後から後から湧いて出てくる野良猫達。闘牛場の看板に描かれた勇ましく飾り立てられた雄牛より、野良育ちの猫が今この街のリアルだ。
市街地に戻ろうと闘牛場の脇を通って少し行くと、愛媛FCレディースの前身、愛媛女子短期大学が去年名称変更した、環太平洋大学短期大学部のさくらキャンパスが見えてきた。試合会場の丸山公園内に隣接する立地に、宇和島こそが愛媛FCレディースにとって真のホームタウンである事を実感すると同時に、千葉に今年から加入した春山沙織の顔が浮かんだ。つい先日川村と楓の激励に、秋津で開催された千葉と高槻のカップ戦に足を運んだ時に、春山はコンコースでチームスポンサーのヤクルトの物販をしていて、試合終了後、売れ残ったジョア・ピーチを纏めて押し付けられた苦い記憶が。しかし、それ以前から春山には強い印象が俺にはあった。
去年西が丘で、ノーガードの撃ち合いを6-4で制した愛媛が、格上と見られたホーム世田谷を退けると言うとんでもない現場に居合わせ、その時にハットトリックを決め獅子奮迅の活躍をした大エース、中田麻衣子の10番に次ぐエースナンバー11を付け、試合終盤に駄目押しゴールを決めたのが春山だった。皆、湯郷のアイドルストライカーだった中田目当てで西が丘に足を運び、注文通りの大ブレークに釘付けになっていたが、俺は左サイドを何度も果敢にドリブル突破して、チャンスの山を築いた春山に眼が行った。後日、千葉の習志野さんと愛媛の話になった時、左ウイングの11番が生きが良くて面白いと言ったら、
「それサオリンだよ。中学まで千葉にいてさあ、超ウマくて、超有名だったんだよ。」
とガッツリ食い付いてきた。
それで先日、秋津の試合の時に物販に廻ってベンチすら入れないのを見て、本当に勿体ないなと思った。内にいた川村とか入ってきて、中盤のポジション争いは更に激戦を極め、一人二人怪我人が出た処でそうそう出番が廻ってくる事はないだろう。間近で見たら、あどけなさの残るルックスも申し分なく、ピッチに立てば直ぐに人気が出るはずなのに。極々自然に、試合に出られないなら内に来て欲しいなと口にしたら、習志野さんが烈火の如く舌鋒を飛ばして、
「巫山戯んなコノヤロー、サオリンは何処にもやんねえよ。」
とガチで突っぱねられた。あれはガチだった。
丸山公園を後にしてと言うか、下山してホテルに辿り着くと、風呂に入った後は日頃から地上波を観る事もないし、手元にPCも無いので寝るしかない。前泊って暇だな。何時もは夜行バスの準備をしてる時間に、ベッドでゴロゴロしてるというのがムズ痒く、冴えた眼を酎ハイに浸して強引に部屋の灯りを消し就寝した。
携帯のアラームで6:45起床。9:00にチェックアウトして会場にシータクで向かうまでの間、朝食を取りがてら表に出た。分厚い雲が低く垂れ込めて、何時小雨が降ってきてもおかしくない空模様。港の手前のマックで朝マックを頬張り、コーヒーを片手に港を散策している内に小雨が降り始め、次第に雨脚が強くなってきた。引き返そうか、そう思った時に、入り江に隣接する校舎が眼に止まった。海辺に建つ学校は珍しくないが、それにしても岸壁にへばり付く様に建っているのは初めて見た。潮風を浴び、波の照り返しで灼け、黒く煤けた鉄筋コンクリートの塊の前に立つと、正門に聞き覚えのある校名が掲げられてた。
愛媛県立宇和島水産高等学校。
これって、もしかして。iPhoneで校名を検索すると、十年以上前のえひめ丸の衝突事故の記事が鈴なりに小さな液晶画面を埋め尽くした。宇和島って・・・・・・そうか・・・。俺の中ではとっくの昔に過去の出来事として風化していた。否、風化してそこにあるのでなく、今この瞬間、この場所に立つまで、完全に記憶から抹消登録されていた。昨日、宇和島の駅に着いた時にも何も感じなかった。えひめ丸の衝突事故その物が、連日紙面を賑わす記事の一つでしかなく、取り上げていた主要メディアが、ニュースバリューが落ちたからと取り下げた時点で、俺の手の中からも飲み終わったコーヒーのショート缶の様に放り投げられてた。
全く、ノーガードの処を撃ち抜かれて、何をどう受け止めて良いか判らず、頭を錯綜するのは、シャッターの降りた商店、褪色したBARBEE BOYSのポスター、子供達の疎らな夜祭りの情景だった。誰の目にも可視化する斜陽。加速する経済と人口の過疎化。老朽化するインフラ。産業のない地方都市が抱える窮状。普通なら在り来たりで終わる話が、連続でフラッシュバックする。
漁業と海運業が街の生命線だ。宇和島水産高校はその担い手の学舎。この街を見切り、都会に出る若者が少なくないであろうこの街で、ここに通う生徒はこの街にとってただの高校生じゃないだろう。街の将来を担う、街の未来そのもの。街の宝だ。それが一溜まりもなく太平洋に散ったのだから、この街の受けた衝撃は、外様の俺には計り知れない。
宇和島水産高校の小雨に濡れる煤けた校舎は寡黙だった。亡くなった生徒の命が戻らぬのと同様に、水辺の校舎はその場を微動だにせず、そびえ立っている。この校舎の目の前で、この小雨など比べ物にならぬ程の遺族の涙を見た筈なのに、一言たりとも語ろうとせず、ただ見上げているしかない俺を見向きもせずに小雨に耐えている。何も飾り立ててない何処にでもある老朽化した校舎だ。気付かなければ素通りしていた筈だ。その姿がこそが取り返しの付かぬ真実の重みを突き付けてくる。ここでは何も風化しない。これはドラマじゃない。感傷的な挿入歌も、BGMも流れなければ、アフレコのナレーションも流れない。ここにいると悲劇と言う単語ですら脚色されたイミテーションだと気付かされる。宇和島水産高校の校舎はこれからも時の風雪に寡黙に耐え続けるだろう。この校舎の前では自分が如何に無力化を思い知らされる。
一瞬、サッカーなんてやってて良いのかなと言う疑念が頭を過ぎった。東日本大震災の時にもマリーゼの存在が様々な問いを投げ掛けてきた。宇和島に来て、それがマリーゼだけの事じゃないと気付かされた。この街は静かに喘いでいる。えひめ丸で失った若い命は一つの象徴の様な気がする。
今の自分に出来る事があるとするのなら、やっぱりサッカーしかないと思った。今日これから、丸山公園で試合をする。そこは愛媛FCレディースの聖地。そして、宇和島は愛媛FCレディースの純然たるホームタウンだ。レディースがなでしこに昇格すれば、そこで活躍出来れば必ずこの街にスポットが当たる。ベルが湯郷に光を当てた様に。
愛媛FCレディースの選手達はこの街の事をどう思っているんだろう。えひめ丸の事故や、この街の将来の事を。えひめ丸の事故は愛媛女子短期大学がチャレンジに参入する遥か前の出来事だ。それは彼女達にとって風化した出来事なのだろうか。それとも、この街の存在その物が風化した存在なのだろうか。この街にサッカーと学業だけをやりに来たのだろうか。中田は骨を埋めるつもりでここに来たのだろうか。千葉に戻った春山はどうだろう。中学を卒業する同時に親元を離れ、鹿児島の鳳凰で寮生活を始め、大学の進学先も愛媛。気が気でない両親が、短大卒業後は千葉に戻る様に説いたのは想像に難くない。でも、それは何も春山の両親に限った事ではないだろう。中田に次ぐエース番号を背負った選手だ。愛媛FCの方でも春山に慰留を求めたのも想像に難くない。宇和島の街で春山と親交のあった地元の人達は、宇和島を去る春山に特別な想いを抱いたはずだ。聡明な子だ。誰からも慕われていたと思う。その子が卒業と同時に街を去る。又一人、この街から若者が去る。その想いを春山は感じたんだろうか。
この街に愛媛FCレディースは必要だと俺は勝手に思った。愛媛FCレディースには背負う物があって、勝つ理由がある。そしてそれは、内のチームも同じ事。良い試合をしよう。俺に出来る解決の糸口があるとしたら、それしかない。そう思った。そう思うしかなかった。
会場に到着すると、松山から駆け付けてきた八木監督の親族の方と挨拶した。監督の娘さんと思しき女の子もいて、単身赴任で福岡に来てるのであろう監督に未だ甘え足りないのか、その側に付いて離れない。俺は監督の親族のオバちゃんに捕まり、握手と称して手を鷲掴みにされ、
「絶対、見捨てんといてな。ずっと、応援してあげてな。」
と懇願され、手を離してくれと言っても離してくれず、最後の最後に一から十まで数を数えて漸く開放してくれた。紳士な監督からは想像出来ぬその押し付けは、何処かで血が途切れているのではと疑いたくなる程で、まあ、凄かった。
スタンドが開放され、横断幕の準備を終えると、会場を囲むネットの外から奇声が聞こえ、振り返るとユミがネットに齧り付いて俺に手を振っていた。その後、ユミママ、コマさん、柳さんと何時ものメンバーが合流。
で、色々割愛して、苦しい展開を乗り越え2-0で勝ち点3ゲット。MVPは前半早々のPKを読み切って、キッカーにプレッシャーを掛けてポストでセーブし、流れを呼び込んだ嶋田、緊急のポジションチェンジにも動じず、左サイドの愛媛の攻撃に鍵を掛けた倉原、意外にイケてるプレースキックで先制点も演出した琴音の誰にしようかと迷った挙げ句、後半、俺の至近距離からの野次にガン無視を押し通した、愛媛の左SB葛間に決定。何せ、今日は怪我か何かで運営スタッフに廻っていた愛媛の五番、川澄似の堀江智子が、俺が野次る度に大受けしてたんで、調子に乗って葛間をガンガン野次り倒してしまった。先ず、手始めに、
「葛間、俺、お前の誕生日にシャネルのコスメセットプレゼントしただろ。お前、その時、ええっ、私で良いんですか?って言ってたじゃん。」
から始まり、
「葛間、今のお前、ハンドだろ。ハンドならハンドで主審に自己申告しろよ。ユミが見てんだぞ、オイ。ユミ、今、クマ先生嘘吐いたぞ。ハンドしたのにしてない振りして嘘吐いたぞ。」
「平田、向こうの11番足に来てるぞ、ガンガン勝負しにいけ、ガンガン。」
と言った感じで、その内、余所の途中経過が入って、
「世田谷3-1で負けとうぜえ。これ勝てば世田谷に追い付けるぜえ。」
と喚いてたら、後で、監督から試合に集中させたいから、そう言うの言わないでくれと注意を受ける事に。済みませんでした。兎に角、葛間は良く耐えた。
で、試合終了後は、飛行機の時間がギリのギリだった為、横断幕は宅配で送ってもらい、エール交換も出待ちもせずに、コマさんの車で宇和島駅に直行。JR、JALと乗り継いで無事帰宅。
でもこれ未だ、遠征三連戦の一発目なんだよね。一発目でこれだからね・・・・・濃すぎるよ。しかもこの後の週明けの木曜に・・・・・・まあ、良いや、次のブログの掴みで書くか・・・・・・取り敢えず、最後は恒例の、ツナギ The Victory でキメ!!
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宇和島遠征
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